2020年1月7日火曜日

Baby Shower

 Baby showerはアメリカに来て初めて体験しました。土地が変わると文化も変わるものでヨーロッパでは赤ちゃんが生まれる前にプレゼントを贈ると縁起が悪いとされていますが、合理的なアメリカでは赤ちゃんが生まれる1ヶ月前に友人が集まってお祝いをします。そこで妊婦さんがリクエストしたものや、赤ちゃんの産着などを渡して、いざ、出産へ出陣。

私はアメリカに来てから住んでいる家にお庭もあるからかなぜかいつもBaby Showerのオーガナイズを頼まれます。これまでに3、4回してきました。

みんな気心の知れた友人のお祝いなのでオーガナイズするのもとても楽しくて毎回ワクワクします。


ゲストに送るプレゼントは手作りしたいと思い、友人の農場で育ったカリフォルニアの植物を合わせたブーケに主役の愛ちゃんがPluie Hairのオーナーの奥さんなのでPluieのキーホルダーをつけました。リボンはベルベット。ナチュラルでおしゃれな愛ちゃんにぴったりの雰囲気ができました。

ファーマーズマーケットで植物をゲットして


うちのキッチンがアトリエ化しました。


全部で10本のブーケが完成

Pluie Hairのアクセ付きブーケ


ロス在住の女性が一つ一つ手作りしているお花のクッキー

プレゼントのブーケを天井から吊るすというアイデアは現場について思いつきました。白い壁には草花をテープで貼って。


食事も整い準備が整いました。






         愛ちゃん、元気な女の子を産んでね。心からおめでとう。






Mama Glow

 NY をベースに出産のサポートをするグループ Mama Glow の存在を知りました。
医学的資格を持つ医師や助産婦さんではなく、出産後、または出産を控えた女性をサポートするDoula (ドゥーラ)のグループでサイトを通して妊娠、出産に関する様々な情報を提供してくれています。調べたら日本でもdoulajapan.comがありました。

日本では出産後は実家で1ヶ月くらい過ごすのが一般的ですがこちらでは病院で出産した後たった2、3日後には自宅に戻りなんのサポートもなしに、いきなり赤ちゃんと向き合います。親が泊まり込みで面倒を見てくれるということはあまりないのです。
そんな中、経験豊かなDoulaが側にいてくれるだけで精神的にも安心感があり、逆に家族でないからこその相談や頼みごともできるのではないでしょうか。

私は二人の娘をパリで産みました。
初めて妊娠がわかった時に産婦人科に行って検診してもらったのですが、そのお医者さんになんとなくしっくりこなくて、私のテイストを分かっていたナチュラリストの友人から勧められた助産婦さんは一目会った時からもう家族のように打ち解けることができて、『この人なら安心だ』と確信しました。以来月に一度彼女に会いに行くのが楽しみになり、海外で親も近くにいなかったけれど全く不安を抱えずに出産日を迎えることができました。入院中はもちろん、退院後も1週間うちに通ってくれて母体と赤ちゃんの様子をチェックしてくれました。フランスではそれも保険でカバーできるのです。アメリカの出産事情とは大きな違いです。彼女から処方された薬も全てオメオパシーで、マッサージしてくれる時もアロマオイルを使ってくれました。今は引退されていますが彼女と出会えたことは本当にラッキーだったと思います。

今周りに出産する友人が多くて、彼女たちの妊娠期間を見ていると15年前の自分がとても懐かしくなってきました。だからなるべく自分にできることは彼女たちにやってあげたい。同じ海外に住み、近くに親がいない存在だから、Doulaのような先輩がいると心強いから。

今週末は友人のBaby showerを手がけます。Baby showerを主催するのはこれで3回目。なぜかいつも頼まれ、我が家で主催することになるのですが、今回はお気に入りのカフェをパーティー会場に選びました。もうすぐ生まれるからその前に友人たちが集まってのお茶会です。可愛くできるといいな。






2017年8月19日土曜日

センチメンタルな旅


 ここ数ヶ月なぜかアラーキこと荒木経惟とその奥さん陽子さんのことがとてつもなく気になっていた。なぜ自分がこんな気持ちになったのかは覚えていないけど胸騒ぎみたいなものがして、狂ったようにネットやアート本屋で彼らの作品を調べていた。

彼の作品はパリでもとても人気があり、ギャラリーや美術館でもその作品は何度も目にしたことがあった。だけど自分からお金を払って観に行くほど正直言ってファンではなかった。

だけど陽子さんとの日々を綴った『センチメンタルな旅 冬の旅』の写真を見て、二人のエッセイを読んだ時本屋で涙が止まらなかった。二人の日常はどこにでもあるもので何も特別ではない。そんな穏やかで楽しい日常がある日突然妻の病に奪われてしまう、そしてその喪失感。

これまで”彼はどうして空の写真をよく撮っていたんだろう”と疑問に思っていたけど、それは亡き陽子さんのいる天国を思いながら撮っていたんだ。

彼女が退院してから作った夕食を彼はグロテスクに、リアルに撮った。
もしかすると彼はそれらが限られたものだと知っていたのかもしれない。
普通に毎日食べていた妻の作るご飯。それがある日無くなる恐怖感。

彼らは結婚してもずーっと恋人同士だった。

夏の暑い日に恵比寿の東京都写真美術館で ”荒木経惟 センチメンタルな旅1971−2017”を観る機会に恵まれたことは偶然とは思えないタイミングで、余韻を残しながら乗った帰りの電車の中でPanasonic の ”なんでもない普段を宝物にしよう”ってCMがずっと流れてた。
本当の宝物は新品の電化製品にあるのではなく、人間同士が作り上げた空間と感情の中にあるんだ。

1日を振り返り、平和に健康で安全に過ごせたことに感謝

それ以上のものはおまけでしかなくあまり価値を持たなくてもいいことなのかもしれない。特別なことをしなくても毎日が特別。それが地球に生かせてもらっている私たちへの最大の贈り物だと思う。



2017年7月25日火曜日

女性上位万歳!?‼︎


オノヨーコの『ただの私』は私のバイブルです。何人もの大切の友達に勧めたし、雑誌のインタビューでもよく話題にします。彼女が1990年に日本語で書いたこの本の中には彼女の葛藤と優しさ、女性らしさが詰まっていて、読んでいて涙が出てきます。フェミニストの第一人者のように世間では思われている彼女だけど、男性と対抗してきたのではなくただ『ただの私』でありつづけたい、そうあり続けるには戦う必要性があった時代(そして彼女のパートナー、ジョンという大きな存在)に生きてきた女性のエッセイです。
読み返すたびに共感と発見があり、色々なことに気づかせてくれる一冊です。こういう本に巡り合えて幸せ。
この本の中に『女性上位万歳』というエッセイがありますが、そのまま今の政治家に読ませてあげたい。井戸の中の蛙状態のこの日本の人相の悪くなってしまった政治家に。

人種、文化、宗教、性を超えてこの美しい地球で共存して暮らしていくことが人間が唯一地球に恩返しできる術ではないかと思うのです。戦って(それは小さな戦いでも大きな戦いでも)傷つけ合う必要なんて全くない。政党同士で戦い、お互いの悪口や野次で国会が行われていることの理不尽さ。なんなんだ、いったい。なんのために政治があるの?

先週夜ご飯の帰りに電車に乗っていたらホームで軽いキスを交わしたカップルがいました。別になんの気も止めなかったけれど私の隣に立っていた若い男の子二人(多分20代前半)が『今のキス見た?あれ不倫だよ、きっと』って言っているのを聞きました。そのあと『あれはきっとかなりご無沙汰だったんだな』とも。
別にホームで抱き合いながら濃厚キスをしていたわけでもなかったし、そうしたところで誰にも迷惑かけてないと思うのですが、そんな若き青年がただの軽いキスくらいでそんな夢のない想像しちゃうんだ、とびっくりしました。『君たちは?自分たちがご無沙汰なんじゃないの?』って言いたかったけど、多分びっくりされるのでやめました。愛に慣れてないんだろうか、とちょっと日本を心配した夜でした。

この写真は主人が撮ってくれたもの。この撮影をする前に『今回は男性モデルをヌードにして女性は服を着たままで』と彼が提案してきました。よくある男性雑誌に対抗する気分で若い男性モデルを脱がせちゃいました。一日中私はヌードの男の子と一緒だったのです。彼は綺麗な体をしていたからなんの抵抗もなく脱いでくれたけど。もちろんヌード撮影ではないからシルエットだけ見せて。

日本の女性誌でも取り上げて欲しい企画です。





2017年7月18日火曜日

自分探し


先月のGROWで4ページの特集をしていただきました。
テーマは40代で輝き続けるにはどうすればいいのか、という内容でした。
美しさを保つノウハウはきっと日本に住んでいる読者の方々の方がもっとよく知っているはず。私は美に対してお金も時間もそんなにかけていませんから。
インタビューの中で私が最も主張したかったことは『どこにいても自分は自分』ということ。フランス、アメリカと人生の半分を海外で過ごし、それぞれの文化や風習から少なからず影響を受け、それと同時に生まれ育った日本の社会性からかけ離れた自分がいる。
それは短所でもあり長所でもあるけど、なるべくそれを長所にしていきたい。社会にとらわれない、社会のモラルはその土地のものであり、地球規模で考えたら今自分たちが縛られていること、悩んでいることはほんの小さなことかもしれない。

インタビューされて紙面に載っている自分と私自身のギャップに戸惑うこともあります。
紙面に出ている自分は自分自身が目指す自分
実在している自分は目標に達せていないコンプレックスのかたまり。

ここ数年自分でやりたいことはあるのにそれができていない
ちっともなりたい自分になれてない

これまで学んできたこと、経験してきたことをうまく仕事に生かしていきたい
そしてそれが社会への、女性への手助けになればこれ以上の喜びはありません。

私は迷った時にふと占いに行きますが、そこでよく言われるのは
『あなたは木です。そこに風がふいて鳥が集まってくるのです』と。
どんなに強い風が吹いても倒れない、迷っている鳥をとめてあげられるような大きな木になりたい。

この夏初めて2ヶ月も日本に滞在しました。子供達も一緒なので会いたい友達に頻繁にあえなくて、仕事のアプローチも進んでいません。私は同時に二つのことをこなせないタイプなので、子供といる時は仕事モードに全くなれないのです。子供達の声を聞きながら原稿なんて書けない。それで子供達に八つ当たりしてしまうことも。でも今はきっと、私の木にとまっている子供達を受け入れてあげて、そして彼女たちの夏休みがおわり、また飛び立った時に自分という木が大きくなっていたらいいな、と自分に言い聞かせながらこのブログを書いています。

昨日の晩は友人宅に行き、とても楽しい夜を過ごしました。10年以上も友達でいる彼女たちは輝いていて、女性としての仕事も謳歌しています。そんな友人を見て羨ましいと思うと同時にエネルギーももらいました。家族がいるから自由じゃない、というのは自分への言い訳。自分の進む方向は自分以外では決められない。『私らしく生きる』ために自分が置かれた立場を受け入れてそこで花を咲かせるのが一番自分らしいのかも。

人のことはクリアに見えても自分自身のことをクリアに見るのが一番難しい。
客観的に自分自身を見てくれる友人たちは最高の宝物

夏休みもあと3週間(長〜い、アメリカの夏休みは約3ヶ月もあるのです)

がんばろっと!


2017年3月29日水曜日

Spring



春です。去年の冬はLAの雨量が例年をはるかに越えていたので、これまでの禿山も嬉しそうに緑を充実させ、そして今花を咲かせています。街中どこに行っても野の花が咲き、ジャスミンの良い香りが漂っています。アメリカ人って特にLA人はやたらと体を動かす事が好きで街でもトレーニングウェアを着てしまうくらい。(これって私は絶対やりたくない事の一つなのですが。。。)これまで仕事していたのに少し時間が空くとサイクルやハイキングに出かけてしまう。ランチタイムのヨガも結構混んでいます。

ハイキングも以前ハリウッドに住んでいた時は裏がすぐハリウッドサインのある山だったのでよくハイキングに誘われましたが、どうもあの禿山に登ってカラカラになるのかと思うと、ただでさえ乾燥肌気味なのにこれ以上紫外線と乾燥と戦う気がしなくていつも断っていました。

が、今年の春は違います。

こんなに緑の中で春の花の香りを楽しむ事ができるのって今しかないチャンスです。

今年は自らトレーニングウェアに着替え愛犬を連れてひたすらこの辺の山を散歩しています。(でもそのあとは家に直行してシャワーを浴びてまた外出着に着替えて出かけるのです。トレーニングウェアでは人に会いたくありません。)



春の香りって独特

なんとなく湿った空気間の中でふわっとあま〜い香り
虫や鳥も生き生きしている



先月の満月の夜にハイキングをしました。
夕方になると霧も晴れて、コヨーテの鳴き声を遠くに聞きながら歩いていると、ふと懐かしい香りが。
何だろうと思い返してみるとそれは去年行った京都の香りでした。清水寺で見た夜桜の香り。LAの山に桜はなかったのですがアーモンドの白い花が同じ香りを漂わせていました。

タイムトリップした気分になりました。


2017年1月27日金曜日

激動の2017年


2017年はトランプニュースでアメリカ、世界全体が騒いでいます。

LAでも先週大規模なウィメンズマーチがダウンタウンで開かれていました。
周りの何人もの女友達に参加を誘われたけど結局私は参加しませんでした。
何となく人混みに行く気分でもないし、テロも怖かったし。

トランプ大統領となってから政治そのものよりも彼をなじる報道の多さにうんざりさせられます。それはもしかして本当に今アメリカがしていることから世間の目を反らせるためにしているのかと思うほどです。

このような人が国のトップに立ち、この環境で育つ子供たちにどんな影響を与えるのでしょう。こういう人になれば権力もお金も得れると勘違いしてしまう子供達が多く出てくるのではないかと思います。

移民問題、メキシコとの壁問題と色々ありますが、個人的にゾッとしたニュースは彼が拷問を認めるといったこと。やられたらそのままやり返す、というのは知性のない人間がしてきたことで、現代人として、教育を受けてきた人間としてその間違いは繰り返してはいけないはずなのに。やられたらやりかえす、というのは3歳児レベルだと思います。

なんだか今社会全体が " HATE "(嫌悪)に覆われている。

この怒りのパワーは危険です。ドイツでも怒りのパワーを元にヒトラー主権が誕生しました。

どうか、愛のパワーに変わりますように。